初めての標準電波の発射
昭和2年(1927)頃より無線通信が急速に発達して無線局間の混信も徐々に多くなり、電波の発射周波数が公称周波数にいかに忠実に出されているかは、無線通信の発達とその促進にとって無視できない問題となってきた。このため逓信省は、いわば周波数測定の物指しとなる正確な周波数および時刻が、どこでも容易に得られるように周波数標準並びに標準電波の諸施設の建設計画を建て実行に移し、昭和15年(1940)逓信省告示第1号によって初めて標準電波JJYを検見川送信所から発射した。
昭和20年代は終戦、戦後の占領下時代、電波法・放送法確立時代、通産省・文部省との調整時代を経て、電波研究所が国の周波数・時間・時刻の標準を確立するまでの過渡期であった。郵政省設置法に基づいて行う周波数標準値の決定、標準電波の発射、標準値の通報について又その正確さおよび精度向上面での進歩発展の方向について略記する。
周波数標準値の決定
当時の周波数の定義は c/s (サイクル/秒)で s(秒)は東京天文台で決定されていた関係から、秒信号受信の便のため三鷹に近い小金井が周波数標準の設置場所に選ばれた。秒は地球自転に基づく世界時をもとに決められたが、これには不規則変化、永年減速、更に歳差など、標準として定義するには変動要素が多すぎる難点があった。このような秒を分母として決定する周波数標準値の決定精度は1 10 が限度である。水晶発振器の研究の進展によってその精度を上げる必要に迫られ、昭和27年国際天文連合は地球公転に基づく暦表時を時間標準とする秒の定義の改定を行った。しかしながら暦表時はこの時期研究の進展した原子標準が現れるにおよんで実用に至らず、周波数標準値は原子標準自身で決定され、秒はセシウム原子の持つ固有振動によって定義される時代を迎える事になる。
標準電波の発射
標準電波JJYは総合周波数標準施設ができるとともに昭和24年小金井から4,8MHzで発射し始めた。昭和27年電波研究所が周波数標準の研究とともに業務を引きついだが、この時発射周波数の確度は1 10 であった。発射周波数は昭和29年には2.5,4,5,8,10MHzに改定、更にCCIR勧告により所謂5メガシリーズに改定された。確度も2 10 に向上してきた。しかしながら短波帯では確度は10のマイナス8乗が限界となることもあり、長波標準電波の実現が望まれて30年代初頭には長波実験局JG2AQが運用を開始した。
標準値の通報
本来の目的である電波の監視規正向けの通報の他にも、発射周波数や発射時刻が極めて正確であることから電波伝搬の研究に利用された。決定された周波数標準値は天文台へも通報され相互補正の基準として使われた。また水晶振動子及び通信機メーカーや電電公社などへの通報から発展して通信学会誌に掲載された結果通報が広く行き渡るようになった。