昭和16年(1941年)日本学術会議に所属する電波研究委員の奔走により、逓信省・海軍省・陸軍省の勢力に中立である文部省に、「電波物理」に関する研究機関が誕生した。昭和16(1941)年3月、電波物理研究会、同17年4月電波物理研究所が設立された。研究所員は国内及び太平洋各地において電波観測及び電離層伝播研究により国内、国際通信の確保に寄与した。昭和20年8月15日敗戦により電離層観測は中止となった。
戦時中に文部省は直轄研究所として資源科学研究所(昭和16年)、電波物理研究所(昭和17年)、民族研究所(昭和18年)、統計数理研究所(昭和19年)を設置した。これらの研究所は、必ずしも戦力増強を直接の目的としたものではなかったが、わが国の海外進出を背景としたり、あるいは科学戦といわれた情勢下に特に必要性の高い特定の専門分野の研究を促進することを目的として設立したものである。
戦前から終戦までの電離層観測、レーダ開発や南極観測については、小泉徳治氏と大瀬正美氏による記述があるWEBサイトがありますのでご覧ください。
http://www.shiro1000.jp/tau-history/dennpa.htm
また、海外の観測所については、元文部省電波物理研究所に在籍した清水富次氏と高安好文氏が1993年11月日付の「電波物理研究ー運命の南方地域における電離層観測および電波の伝わりかたの研究ー(シンガポール、ラングーン、バンドン、マニラ)」に各観測所のスケッチとととに詳細に記載されています。また、本記述について、2007年5月に五十嵐喜良氏が京都大学の西田篤弘教授と木村磐根教授にバンドンとETS-V Post-PARTNERSの関係に記述したメモがあります。
清水富次、高安好文;「電波物理研究ー運命の南方地域における電離層観測および電波の伝わりかたの研究ー(シンガポール、ラングーン、バンドン、マニラ)」、1993年11月
五十嵐喜良;清水富次氏の資料で記載されているバンドンとETS-V ポストパートナーズの関係を伝えるメモ、2007年5月
昭和20年9月24日、司令部渉外局発が、最高司令官から日本政府に対し発せられた。その内容は「研究機関・科学技術団体に対し、1940年以来の研究資料の提出を求める」命令であった。連合軍代表で電離層の専門家Bailey少佐の臨検及び審査の結果は、「日本のデータは欧米諸国に比し、優るとも劣らないものである。」であった。この判断により日本国が引き続き電離層観測が出来るよう、「電離層観測継続の覚書(昭和20年10月10日付け)」により決定された。これにより、電離層観測等、電波に関する研究が電波研究所に継続されることになった。その後、昭和27年8月1日に郵政省電波研究所が設置された。
飯田尚志、「通信総合研究所の恩人を偲んで」、CRL NEWS No.282, Sep. 1999