犬防観測所

第二次大戦中は、ここに陸海軍の見張所が設けられ,空と海に肉眼とレーダーによる敵の監視が日夜続けられていたが,戦後昭和21年その諸設備が当時の逓信省に移管になり,逓信省電波局大平観測所犬伏分室として,この観測所が誕生した。その後、度び重なる機構改組のため逓信省から電気通信省,電波庁,電波監理委員会と所管が変わり,その名称も犬吠突験所,犬吠分室,犬吠観測所と幾多の変遷を重ねてきたが, 昭和27年8月1日電波研究所が設立されるに際し,郵政省電波研究所犬吠電波観測所として新しく発足した。

旧木造庁舎は終戦時の昭和20年9月に当時の軍の施設 を引継いたものであり,30余年の歳月を経て,建物が老 朽化し,その都度補修を行ってきた。また,庁舎用地が 私有地であったため,その明け渡しを迫られていた。こ のため,隣接の国有地に1977年9月から鉄筋コンクリート 2階建て,延べ面積836.5㎡の新庁舎の建設が進められ てきた。この程建物が完成し1978年3月9日に新庁舎への移転 を完了している。1978年3月9日には、新庁舎へ移転している。

下記の資料には、開設の経緯や当時の観測、新庁舎完成の様子が紹介されいていますす。
【資料】「犬防観測所」、電波研究所季報、Vol.03 No.012, pp199-203, 1957
【資料】「電波観測所めぐり その3 犬吠電波観測所」、犬吠電波観測所長 大内 長七、電波研究所ニュース、1977.11、No.20
【資料】「犬吠電波観測所新庁舎完成」、電波研究所ニュース、1978.4、No.25
【資料】 犬防観測所名称沿革

昭和27年8月1日開設当時の犬吠電波観測所。

≫職場めぐり≪

VLF観測に澪つくし

犬吠電波観測所

昨年放映されたNHK朝のテレビ小説「澪つくし」 によって銚子市の名は一段とポピュラーになったと 思われる。犬吠電波観測所(以下当所という)はド ラマの舞台となった銚子市街や犬吠埼を見下し,周 囲330度までを海面に囲まれて「地球の丸く見える 丘」の別名を持つ愛宕山に存在する。ここは標高73.6 mながら千葉県北総第一の高所であり,本州で最も 早く日の出を望める地としても知られている。元日 には近隣の善男善女が一刻も早い初日の出を拝もう と大挙押し寄せるために当所周辺の道路は車で埋め つくされる結果となる。

このような景勝地であるた め,第二次世界大戦中は海軍の監視所等が設けられ ていた。戦争終結を迎え,電波の実験に絶好な場所 であるところから時の総理府逓信院がいち早く電波 測定所として使用することになり,その後多くの機 構改革を経て現在に至っている。従って電波研究所 が電離層観測網形成の目的で各地に開設してきた他 の4電波観測所と当所は生い立ち,業務の主題共に 異ったものになっている。初期の当所は主として超 短波,極超短波の伝搬実験を行って成果を挙げてい たが徐々に超長波(VLF)の伝搬特性に研究対象 が移行し,1965年から米国との研究協約による共同 観測を13年間にわたって実施した。その間の1972年 からは遂次開局されたオメガ電波の測定を順次追加 し,それらの観測資料及び研究成果によって当所犬 吠の名は広く内外に知られるようになった。VLF 使用のオメガはわずか8局で全世界をカバーする電 波航法の最終版であるとして登場した。しかし太陽 爆発現象(フレア)及びそれに伴う極域電離層の擾 乱現象,また,フレア以外の原因の位相異常等によ る測位誤差が予想以上に大きいことが判明した。こ れら一連の地球物理現象や伝搬上の諸問題解決のた めに観測を現在も引き続き行っており,また,毎日 の位相情報の伝達によって電波警報業務へ寄与して いる。VLF各波の観測以外には他の4電波観測所 等と共同で,短波標準電波の電離層変動による周波 数偏移(ドップラー)を測定することによって大気 波動を観測している。また,当所の地盤は固い岩石 から成り地震の測定に適していることから,地震に 伴う電磁波の検出を試みる測定も行っている。

これらの観測に携わるスタッフの横顔を紹介する。 石井は,犬吠生え抜きのベテランで,本年4月転出 先平磯支所から復帰した。囲碁,釣りをたしなむ。 寺島は,園芸を楽しみ,「花木によっても職場に女性 らしい潤い」を与えている。川原は,パソコンを趣味 とするが,野球の正選手を目指し練習に励む,今年 成人式を迎えた。庶務担当の石澤は,研究所野球チ ームのエースであり休日には各地に出向き快腕を奮 っている。杉内は,通勤時間がゼロとなり,脂肪の つかぬよう努力をと思っているが何も実行していな い。以上5名がVLF観測に澪標たるべく身を尽し ている。
(澪標は水脈つ串の意味で,水中に舟の水路 を知らせるために立てた杭のこと)

(杉内 英敏)

後列左から 川原、杉内、石井
前列左から 寺島、石澤
【資料】CRL NEWS 1986.7 No.124