秋田観測所

電波観測所めぐり  その2    秋田電波観測所

   はじめに
 秋田電波観測所の生い立ちは他の観測所と多少異り, 昭和21年に設置された青森県深浦と新潟県新発田の二つ の観測所が統合されてできたものである。電気通信省電 気通信研究所は,他の地方電波観測所のような既存施設 の利用ではなく,初めて自前設計で庁舎施設の建設に当つ った。
 当所は昭和24年12月に新発足したときに同省電波庁電 波部所属となった。その後昭和25年6月総理府電波監理 委員会に,昭和27年8月には郵政省電波研究所へと所属 こそ変ったものの,観測所の担務としては一貫して電離 層の観測網の一端を担い今日に至っている。
 当所が旧陸軍の練兵場跡に開設された頃,周囲は見渡 す限り荒野原であったが,現在では官公庁,大学,住宅 が建ち並び,秋田市の文教地区として環境も一新された。
 昭和44年4月には現在の庁舎が完成し,電離層研究と いう地味なイメージとは程遠い洒落た建物と,電波研究 には手狭ながら一見広大な敷地に所狭しと林立するアン テナ群がこの文教地区で一際目立っている。職員数は9 名で毎日電波観測業務に励んでいる。観測,研究業務に ついて簡単に紹介する。


秋田電波観測所 全景

【資料】秋田電波観測所長 石嶺 剛、「電波観測所めぐり その2 秋田電波観測所」、電波研究所ニュース、1977.9、 No.18

秋田観測所は、当初昭和24年11月5日に組織の上で 電波庁電波部電離層課秋田分室として発足したが、 実際には、電気通信省電気通信研究所所管の新発田 電波観測所(当時、新潟県北蒲原郡聖籠村、昭和21 年3月25日文部省電波物理研究所により設立)と同 所管の深浦電波観測所(当時、青森県西津軽郡深浦 町、昭和21年7月20日文部省物理研究所により設 立)との統合があり、昭和24年12月1日付で開設さ れたものである。

その後の所属は、行政機構の改正と共に幾度か変 遷し、昭和27年8月1日に郵政省電波研究所(現通 信総合研究所)の所属となった。また、太陽活動が電離層に及ぼす諸現象(デリン ジャー現象、磁気嵐等)の調査や短波帯電波の伝わ り方に関する基礎的な調査、さらには、衛星放送波 を利用した周波数標準に関する調査・実験等、地域 性を生かした研究も行ってきた。これらの業務では、常に変動する電離層の状態を 観測し、短波通信を行うユーザに対して周波数や時 間帯を適切に判断する情報を提供してきた。

秋田観測所は、平成3年6月に所属する通信総合研 究所の機構改正の一環として、開設以来41年余の歴 史に幕が引かれ閉所となった。職員数は、開設当時に初代観測所長糟谷氏ほか16 名、郵政省に所属となった昭和27年当時には14名で あったが、閉所間際には観測所長ほかわずか2名で あった。

【参考資料1】所長 畚野信義、「秋田電波観測所の閉鎖に当たって」、CRLニュース、1991.6、No.183
【参考資料2】田中正利、「秋田電波観測所 -41年余の歴史を閉じる-」、CRLニュース、1991.6、No.183
【参考資料3】秋田観測所名称沿革

昭和40年頃の秋田観測所