とりとめのない連載になりましたが、このような機会を与えていただきましたことに、心から感謝申し上げます。
2022年2月ロシアがウクライナへの侵略を始め、いまだ、戦争は長期化の様相を呈しており、一日も早い和平が実現することと併せて、新型コロナウイルスの感染が収束することを心から望んでやみません。今後の皆様のますますのご健康をお祈り申し上げます。
終わりに、充足感溢れて過ごしたCRLの思い出に、1991年CRLニュースに投稿した随筆を再掲させていただきたく存じます。
CRLニュース 1991年11月第188号より
《随筆》 構内の花に魅せられて
先日、当所見学のための来訪者とともに道路を隔てた武蔵野の面影の残る雑木林を通りぬけ、宇宙光通信地上センターへと向かった折、皆さん異口同音に「素晴らしい環境ですね。」とおっしゃられた。
雑木林の辺りは、殊の外都会の喧騒から逃れた静かな自然環境が保たれており、この恵まれた得難い財産は、いつも私たちにほのぼのとした心のやすらぎと豊かさを与えてくれている。
また、構内には、種々の木々や花々があり、季節の移り変わりとともに、私たちの目を楽しませてくれる。毎年2月から3月にかけて、3号館の南側の紅梅、薄紅梅がほころび、えもいわれぬ美しさとともに、馥郁たる香りが漂ってくる。春の訪れを待ちわびているとき、梅の開花は、それにふさわしいプレゼントといえよう。
百花繚乱の春には、雪柳、ぼけ、れんぎょう、桜、もくれん、藤、つつじなどが紅、白、黄色とカラフルに咲き競う。続いて、紫陽花、夾竹桃、むくげなどの花が咲き、そして散っていく。
食堂の近くに見事に咲き誇っていたさざん花が、今は大分散り、辺り一面撒いたように紅の花びらに彩られている。そして、そのさざん花の側に、目にも鮮やかな黄色に染まった銀杏の木が、青空目がけてしゃきっと立ち、地面は黄色のじゅうたんを敷いている。散り果ててなお、紅と黄色の美しさを保ち続けているさまは、けなげさを感じさせる。
さて、構内の花との出会いについて触れてみたい。
随分昔のことであるが、秋の文化展開催のとき、生け花の出品を勧められたことがあった。そのときは開催間際のこともあって、早速花材集めに構内を散策した。すすき、われもこう、ほととぎす、水引草、あざみなど野に咲くこれらの花々を生けて感じたことは、なぜ私は今まで野の花に振り向かなかったのだろうという思いであった。それは、大事に育てられた店頭の花にない素朴さと可憐さとそして計り知れない野趣があり、思いがけない発見に心がときめき、それ以来野の花に魅せられている。
昭和47年、当所で初めて電波研親睦会が開催されたときのことである。上田元所長から寄贈の見事な花瓶の披露を兼ねて花を生けてほしいとの依頼があった。それは、円形の花瓶で鶴が羽ばたいている図柄であった。円は、円満かつ和であり、鶴は、吉兆かつ永遠なる発展を表しているように思えて、それなりの心の準備で花材集めにとりかかった。花材は研究所の息吹きが感じられる構内のものを選び、最終的に決めた主な花材は、松であった。ひばの青さも美しいが、品格において松にはかなわない。自由奔放に育った松の枝で、限りない躍動感と発展を表現したつもりである。また、結実、成就、情熱を願って赤い実もののピラカンサスを加えたことを覚えている。それ以来外での開催を除いて、花材集めなどに協力していただいた多くの方のおかげで、寄贈の花瓶と構内の花材を用いた生け花が、毎回親睦会会場にお目見得している。
世阿弥の「花伝書」の中で、「時分の花は、誠の花にあらず」というくだりがあるが、この教えのように、生け花は、精進してこそ誠のものとなることを思えば、前途は程遠い。生け花の本質は、その季節にしか得られない花と作者との一度限りの出会いである。花との対話で、「この方が綺麗でしょ。もっと面白くなるから発想の転換をしたら…」とささやきかけてくれる。花をどのように生かせばよいかは、人にも言えそうである。
(総務部 庶務課 庶務係長)
2023-01-28掲載