杉浦行さんの想い出

追悼 杉浦行さんの想い出

2020年(令和2年)7月3日

大森慎吾

 この数年、杉浦さんとは親ぼく会で何度かお会いして、体調がすぐれないとのお話しを伺っていました。一昨年の親ぼく会でしたでしょうか、マスクに帽子姿でお見えになり、大きな声でお話になっていたことを思い出します。私が、1978年(昭和53年)に電波研究所に入所した当時から声が大きく、非常にアクティブな方だとの印象が強く残っています。

 杉浦さんは、長く電磁環境の研究に従事され、電波研は勿論、日本を代表する電磁環境の研究者として活躍されてきました。電磁気学、電磁界理論を駆使して不要電波対策手法、無線機器の校正法、電磁妨害(EMI)、電磁感受性(EMS)対策技術等の理論的検討を進め、新たな無線機器の不要波発射技術基準、校正法の確立など、電波研、通総研、情通機構を通じて極めて大きな実績とともに、国際無線障害特別委員会(CISPR)でのご活躍など世界でも大きな貢献をされてきました。

 私自身は、杉浦さんとご一緒に仕事をしたことはありませんが、割合馬が合ったようで杉浦さんが通信機器部長時代には、(当時の)2号館の1階にあった杉浦部長室へしばしば伺ってお話しをしていました。特に、私が宇宙通信部長の1997年(平成9年)、当時の古浜所長から「無線通信部門を新たに開設する横須賀リサーチパーク(YRP)へ移転させるので、横須賀へ行ってほしい」と言われた際には、横須賀で何をすべきか相談に乗ってもらうため何度も部長室へ行ったことを覚えています。相談とは聞こえがいいのですが、実際には杉浦さんが言いたいことを言う杉浦放談会に近かったと思います。それでも、杉浦さんの研究に対するする情熱、優しさや人となりに接して得るものが大きかったので「放談」を聞きに通ったような気がします。 その後も、さまざまなことで大変お世話になってきました。いまでも、ご自分が他界したことすらわからないほど電磁環境の研究に没頭しているのではと思います。ご冥福をお祈りします。