古津年章さんを偲んで

古津年章さんを偲んで

          2022年10月1日  岡本謙一

古津年章さんは、4年余りの闘病生活の後、2020年9月26日に逝去されました。享年68歳でした。なくなる数日前まで仕事をできる範囲で続け、最後まで自分で出来ることにご尽力されたそうです。まだまだやりたいことが沢山あったのではないかと、とても残念に思います。

私は、古津さんとは、1986年頃始まった熱帯降雨観測衛星(TRMM)のプロジェクトを通しての仕事上のお付き合いが主でした。TRMM 衛星は、1997年11月に打ち上げられて以来、当初のミッション寿命の3年2か月を遥かに超えた2015年6月まで、17年4か月以上も軌道上から世界の降雨データを取得し続けました。従って、古津さんとは電波研究所に在籍中、および退職後共に大学に異動した時期も含めてTRMM衛星を通して、約30年近いお付き合いとなりました。以下、古津さんの足跡を振り返ってみます。

古津さんは、1971年に、京都大学工学部電子工学科に入学されました。工学部電気系学科の同期入学者の中には、後に電波研究所に入所し、TRMM 衛星とも深い関わりを持つことになる真鍋武嗣さん、熊谷博さんがいました。古津さんは、1977年3月に同大学院工学研究科電子工学修士課程を修了し、4月に電波研究所に入所されました。

入所後、1977年4月~1983年3月に、鹿島支所で、実験用中型放送衛星(BSE)による放送衛星実験研究に従事した後、1983年4月~1985年9月に、通信放送衛星機構 君津衛星管制センターで、放送衛星の管制業務に従事されました。この間のことについては、私は、まったく存じておりませんので、よくご存じの方、例えば鹿島支所に同期入所の福地一さんあたりにお聞きください。

その後、1985年10月~1991年3月に、 電波応用部主任研究官として、マイクロ波リモートセンシング の研究、特にレーダによる降雨観測技術の研究に従事されました。この頃から、私と古津さんのお付き合いが始まったと思います。ただし、私は電波部大気圏伝搬研究室の所属、古津さんは、電波応用部電波計測研究室の所属で、同じ研究室ではありませんでした。

古津さんは、1987年7月から2年間、NASAゴダード宇宙飛行センターで、航空機からの日米共同降雨観測実験に参加されるために、長期出張し、NASAに滞在されました。確か、私もTRMM関連の出張時に、滞在中の米国のお宅にお招きいただいたことを覚えております。

日米共同降雨観測実験は、1985年から始まっており、電波研究所が開発した航空機搭載用雨域散乱計/放射計をNASAの航空機に搭載して、雨域の上空から降雨を観測することを目的とし、将来の宇宙からのレーダによる降雨観測の妥当性を検証することを目指していました。このために、電波研究所の職員がNASAの招待で、NASAゴダード宇宙飛行センターに出張して、NASAの研究者と協力し、航空機実験を実施しました。参加したのは、中村健治さん(1985/02-1987/02)、古津年章さん(1987/07-1989/07)、熊谷博さん(1889/06-1991/06)、井口俊夫さん(1991/05-1994/06)達でした。NASA側の担当者は、ゴダード宇宙飛行センターのRobert Meneghini さんでした。これらの方々の努力によって、日米共同降雨観測実験は非常にうまく進み、その成功がその後の日米協力によるTRMM計画の推進に大きく寄与したと思います。

古津さんのNASAゴダード宇宙飛行センターでの主な仕事は、電波研究所が開発したマイクロ波雨域散乱計/放射計をNASAのT-39という小型ジェット機に搭載できるように改修し、高高度から降雨の観測を実施することでした。実験は、NASAのワロープス飛行基地周辺を中心に実施し、多くの貴重な降雨データが取得され、将来の衛星搭載降雨レーダのデータ解析アルゴリズム開発に資する研究成果が得られました。実験の様子を示す写真を添付します。古津さんは、JAXA が纏めた TRMM 感想文集(2017年2月)の中で、この時の経験について、『….1989年6月、最後のフライトの着陸直前、T-39の小さな窓から大西洋上の綺麗な夕焼けが目に入ってきた。目標としていた高高度からの様々なデータ取得を一応達成でき、熊谷さんへ何とか実験を引き継ぐことができた安堵感が夕焼けの輝きと混じり、これからの日本での研究のことをぼんやりと想像しながら、放心状態でワロープス飛行基地に着陸した。……』と書かれています。

この時に築いたRobert Meneghini さんとの信頼関係が、1990年に出版された、共著“Spaceborne Weather Radar(Artech House, 199 pp.)”に繋がって行ったと思います。同書は、類書がなく、この分野の研究に従事する世界の研究者・学生のための標準的な教科書となっています。その写真を添付します。

TRMM 衛星計画について、一言触れておきたいのですが、同計画の中で、日本は、H-IIロケットによるTRMM衛星の打ち上げと搭載降雨レーダの開発等を担当しました。NASA側は、衛星本体の開発、搭載センサ(可視・赤外放射計、マイクロ波放射計)の開発、衛星の運用管制とデータ取得等を担当しました。日本の宇宙開発計画として認められるためには、宇宙開発委員会で承認される必要があります。電波研究所は、郵政省からTRMM降雨レーダについて、宇宙開発委員会に、1987年度に研究要望を提出して承認されました。しかし、1988年度および 1989年度の宇宙開発見直し要望に、TRMM 降雨レーダ等の開発研究要望を提出したのですが、科学技術庁の反対によって、承認されませんでした。ようやく、1990年度の宇宙開発要望で、1991年度から開発研究に入ることが承認されました。

電波研究所では、1987年度以来、研究室を超えたTRMMグループを形成し、降雨レーダのシステム設計を完了し、アクティブアレーレーダを候補として、アンテナや固体増幅器の試作を行い、8素子の部分的なブレッドボードモデルの開発を1987~1990年度にかけて、NEC、東芝の協力によって行ってきました。これに従事したのが、電波部大気圏伝搬研究室の、岡本(室長)、井原俊夫さん、阿波加純さん、真鍋武嗣さん、電波応用部電波計測研究室の中村健治さん、通信技術部通信装置研究室長の故藤田正晴さんでした。古津さんが、帰国後、TRMM グループの主要メンバーとしてTRMM 降雨レーダの開発に組み込まれていくのは、本人の希望もあり、必然でした。1989年7月の見直し要望の最中、私が、郵政省と科学技術庁の事前交渉がなかなか進展せず、ことしもダメかと思って、徹夜して研究室で寝ていたときに、朝方、古津さんが帰国の挨拶に来られたことを思い出します。

古津さんは、帰国後、電波応用部電波計測研究室に戻られましたが、1990年7月に、私が電波応用部電波計測研究室の室長に異動した後は、同じ研究室で仕事をすることになりました。1990年7月10日にNASA Research Announcement(NRA-90-OSSA-15)が発出されました。題目は、TRMM Science: Research Opportunities でした。これは、NASAが主に米国内の研究者に対してTRMMに関する科学研究の公募を行うものであり、採用された公募に対しては研究費を支給するというものでした。米国外の研究者も応募することは可能ですが、研究費は支給されない原則になっています。1990年7月の公募は、最初の米国内TRMM Science Teamを組織することを目指しており、その中のレーダチームは、降雨レーダのデータ処理・解析アルゴリズムを開発することを目的としていました。世界初の衛星搭載降雨レーダは、日本が提供するセンサであるため、そのデータ処理・解析アルゴリズムも日本が中心となって開発すべきものと考えていましたので、この研究公募に対して、日本からも応募しないと日本側のリーダーシップを損なうと考えて、私は、レーダチームのチームリーダーに応募するための提案書、古津さんは、レーダチームのチームメンバーに応募するための提案書を提出しました。日本国内では、当時まだサイエンスチームをつくる動きはありませんでした。提案書は、米国内の専門家によるPeer Review を受けて、その結果、私は、レーダチームのチームリーダー、古津さんは、レーダチームのチームメンバーに選ばれました。1991年2月に、NASA における第一回のTRMMサイエンスチームが組織されました。レーダチームのメンバーには、岡本(チームリーダー)、古津さん、Robert Meneghini さんなどが選ばれました。降雨レーダのデータ処理・解析アルゴリズムは、米国側チームと、後に作られた日本側サイエンスチーム内のレーダチームの協力のもとに、開発が進められました。この開発には、阿波加純さん、熊谷博さん、井口俊夫さん、高橋暢宏さんが加わり、重要な貢献をして下さいました。降雨レーダアルゴリズムは、その後、2009年のVersion 7 に至るまでの改定作業がJAXA(宇宙航空研究開発機構)のプロジェクトとして進められ、私と古津さんは、JAXA 内の降雨レーダチームを通して長い間のお付き合いとなりました。

1990年7月の宇宙開発見直し要望で、ようやくTRMMの開発研究が認められ、本格的なTRMM降雨レーダの開発プロジェクトは、宇宙開発事業団に引き渡されることになりました。これにより、古津さんには、1991年4月から1994年7月まで、宇宙開発事業団に出向して、TRMM 降雨レーダの開発に貢献していただくことになりました。古津さんは、副主任開発部員として、TRMM 搭載降雨レーダ(PR)の開発に於いて、主にレーダの性能を決定する高周波系を中心に、仕様策定,企業と協力した開発業務、関係機関・科学者との調整などの仕事に従事されました。古津さんは、JAXA が纏めたTRMM 感想文集(2017年2月)の中で、『……1990 年に開発研究段階に入り、ようやくNASDA とCRL を中心としたプロジェクトが立ち上がり、PR フライトモデルの開発にめどがついた。そのなかで、PR 開発を任務としたNASDA 出向の指名を受けた。世界でも初の機器ということで相当な不安を感じたが、自分がNASA 滞在中に決めた研究方向とも一致しており、CRL で行われた研究を引き継ぎ発展させるだけだ、という気持ちに切り換えた。断る気持ちは全くなかった。NASDA のTRMM グループに配属され、浜松町貿易センタービルのオフィスは、CRL の研究室とは全く異なる雰囲気で、一種のカルチャショックもあったが、新鮮でもあった。都築部長率いる地球観測衛星グループの下で、ADEOS、GMS と並んでTRMM グループがあり、ひとつのフロアでこれらのグループが並行して仕事が進められていた。TRMM グループは高松プロマネ、梶井主任開発部員(後に川西さん)、小嶋さん、及川さん、古津(後に黒岩さん)という構成で、話してみるとそれぞれのメンバーが独自のキャラクタを持った小規模だが楽しいグループであった。….』と書いておられます。後に、NASDA での TRMM 降雨レーダの開発成果に対して、1999 年に(財)新技術開発財団 市村学術貢献賞を川西登音夫さん、奥村実さん(東芝)と共同で受賞されています。

この間、古津さんは、1991年8月京都大学より、博士(工学)の学位を取得しておられます。題目は、“Estimation of Raindrop Size Distribution From Spaceborne Radar Measurement”です。古津さんは、雨滴粒径分布の研究では、世界のだれにも負けない研究者でありたいと常々語っておられましたが、雨滴粒径分布測定装置による観測結果、降雨滴粒径分布モデルの降雨レーダ観測への応用、NASAでの飛行実験結果などこの学位論文には、詳しく論じられています。

古津さんは、1994年7月に通信総合研究所に戻られました。それ以降は、電波応用部が、地球環境計測部と名称変更し、私が、地球環境計測部長として、古津さんが、地球環境計測部電波計測研究室長として、一緒に仕事をすることになりました。宇宙開発事業団への協力によるTRMM搭載降雨レーダ開発の支援、通信総合研究所が担当したTRMM搭載降雨レーダデータ処理部アルゴリズムの開発、日米のTRMMサイエンスチーム内レーダチームによるTRMM降雨レーダデータ処理解析アルゴリズムの開発支援、航空機搭載マルチパラメータ降雨レーダの開発、低層大気観測用レーダの開発とアジアにおける地球環境計測技術の共同研究の実施、カナダ国立研究院などとの共同で、カナダ北極圏でのアイスレーダ観測、稲作の合成開口レーダ観測実験データの解析 等々のマイクロ波リモートセンシング研究に従事するとともに研究室を統率し、研究プロジェクト推進に尽力されました。

私は、あまり良い上司では無かったと思いますが、古津さんは、一生懸命に室長の仕事を担当してくださいました。今でも感謝しています。TRMM衛星のH-IIロケット6号機が翌年に迫った1996年9月に通信総合研究所で開催されたTRMM関係者の親睦会時の写真を添付します。この写真の中の何人かの方が既に逝去されたのは、とても残念なことです。

私は、1997年7月に、標準計測部に移動しましたが、古津さんは、地球環境計測部電波計測研究室長を務めた後、1999年4月に、島根大学に移られました。島根大学では、総合理工学部教授、同大学院総合理工学研究科教授として、研究と教育に従事されました。2013年3月に退職し、名誉教授の称号を授与されました。その後、特任教授として2年ほど勤務されました。

2013年1月、当時鳥取環境大学に勤務していた私は、古津さんのお招きにより、松江気象台で開催された電子情報通信学会中国支部主催の講演会において、「宇宙からの降雨災害監視と全地球の降雨マップの作成」についての講演をしました。「全地球の降雨マップの作成」は、私が、大阪府立大学にいたとき(2000年4月~2008年月)に科学技術振興機構の戦略的創造研究推進事業チーム型研究CRESTの研究課題「水の循環系モデリングと利用システム」の中の一課題「衛星による高精度高分解能全球降水マップの作成」(2002年度~2007年度)

として選ばれた研究成果によるものです。私は、研究代表者を務めましたが、古津さんは、雨滴粒径分布データをもとに、降雨物理モデル開発グループのメンバーとして、活躍していただきました。

古津さんの主な研究業績は、 (1)世界初の衛星搭載降雨レーダである熱帯降雨観測衛星(TRMM)搭載降雨レーダの開発、 (2) TRMM 降雨レーダデータ処理解析用アルゴリズムの研究開発、 (3)熱帯域降雨の雨滴粒径分布特性研究とTRMM降雨レーダによる雨滴粒径分布推定精度検証、(4) 次世代の衛星搭載降雨レーダの基礎研究等、に大別されます。これらの研究業績は、被引用度が非常に多い、沢山の学術論文に纏められています。興味をお持ちの方は、私が日本リモートセンシング学会誌に書いた「追悼 古津年章会員の逝去を悼みその業績を偲ぶ」(日本リモートセンシング学会誌 40 (5), pp. 289-290, 2020)を参照してください。古津さんは一貫して、衛星搭載レーダを用いた降雨を中心とする地球環境のリモートセンシング技術の発展に貢献されたと思います。

私が、2015年3月に、鳥取市の鳥取環境大学を退職して山梨県の新居に引っ越ししようとしているときに、古津さんは奥様と一緒に松江からわざわざご挨拶に来られました。これが、図らずも古津さんとお会いした最後の機会となりました。

心より、ご冥福をお祈り申し上げます。